2016年05月06日

心を癒す言葉の花束 第二章〜光〜

〜ありのままの自分を好きになる〜
真剣に自分の人生に向き合う人の心のサポーター
 〜ポラリス(光)への道しるべ〜 マヤ暦ソウルナビゲーターMARIです

今日も素晴らしい一日をお過ごしください


救け人自身が救けである
〜キルケゴール〜

傷つき苦しんでいる人を見る時、何とか力になってあげたいと
誰もが思うでしょう。
特に親や配偶者、子供など愛する対象を喪った場合、その悲嘆も
大きいだけにどうにかして励ましたい、勇気づけたいと思うのが
人情です。
しかし、残念ながら、よかれと思って言ったことが、かえって
裏目に出ることもよくあります。
どのように声かけしたらよいかわからず、つい安易な慰めの言葉を
不用意に使って、相手を傷つけてしまうことも少なくありません。
とかく私達はすぐに言葉に頼ろうとしがちですが、悲嘆の渦中に
いる人には多くを語る必要はないのです。むしろ、相手が心を
開いて自由に話せるように聴き役に徹することが肝心なのです。

「私達にとって聴くことよりもしゃべることの方が大切だったら
 きっと人間には二つの口と一つの耳とが与えられていたでしょう」
         〜マーク・トウェイン(アメリカの小説家)〜
    ≀
  (中略)
    ≀
デンマークの哲学者キルケゴールはキリストの存在を
「救け人自身が救けである(Der Helfer ist die Hilfe.)」と
表現していますが、これは深い言葉だと思います。
つまり、私達は「救ける」というと何かをすることを考えますが、
キルケゴールは、そばにいる人の存在自体が大きな心の救いと
なり得ると言っているのです。

真の救け人というものは、何かを「する」ことではなく、
ただ傍らに「いる」だけで、苦しんでいる人の大きな救いとなり、
励ましになります。

〜心を癒す言葉の花束/アルフォンス・デーケン著 より抜粋〜



posted by マヤ暦ソウルナビゲーターMARI at 08:00| Comment(0) | 伝えたいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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